1年はデカい

すっかり色々なことにも慣れて、当たり前の日々が心地よく流れている。欲張りなので、しんどくなったり引きこもってしまうけど。何度も何度も自分の置かれている環境が良くなったことを考える。間違っていないか?大丈夫か?心配性で不安症な私はそうするしかない。ハチワレぐらいの気持ちで生きていたい。

仕事はかなり成長したと思う。最初の半年は今思うとすごくしんどかった気がする。でも持ち前の調べる力で乗り切れた。出来ることが増えたし、わかることも増えた。スピードもかなり上がったのではないだろうか。理解できると嬉しい。もっとやれることを増やしたい。もちろんまだまだだけど。もっと勉強しなければいけないが、これ以上どうしていくか今悩んでいる。少し仕事自体落ち着いている時期なので、自習を頑張りたいがとても難しい。鈍りそう。専門外のことも、プロジェクト的なことも少しずつ、自分にできる範囲で頑張っている。わからない、やったことないなりに。やったことがないから手探りなわけで、少しずつ考えながら工夫してやっていくしかない。

毎日特に、変化があるわけではない。でも年単位で見ているとやはり全然違う。どんどんオタクごとに興味がなくなっていく。話が合わなくて少し辛い。美術や展示に興味がある。休日を散歩で充実させるのが楽しい。日々と住居を、穏やかにすることが何より幸せである。当たり前のようでいて、当たり前の平和ではない。たまにブログを振り返って、再確認しなければならない。頑張ってきたから、今があるのだ。

失うかもしれないから、全てをぶった斬るのは良くない。賢く、ほどほどに。疲れない程度にやっていこう。何事も。大事なものだけは握りしめて。

easy & slowly

1ヶ月が経った。空気にはだいぶ慣れた。仕事はまだまだ序の口といった感じで、ゆったりしているとは思うけど少し手探りの不安さがある。わからないから時間がかかる。仕事は簡単ではない。覚えることは山ほどある。1日がすぐ終わる。悩んで疲れる。1週間が毎週あっという間だ。淡々としている。良い。分かってはいたが確かに放任だ。「個」といった感じ。良くも悪くも。自分の力があって自分の身を守れる、自力で歩ける人であれば快適だと思う。結局どんな会社に行っても、そうでなければ生きていけない。周りに流されて適当に生きてしまうのだ。自分で考えて、自分で行動する。そういう力がつけばいい。

 

焦る。わからないことが怖い。できないと不安だ。がっかりされないか。でもまだ1ヶ月だ。きちんとやったことないことをしている。一つずつ、やっていけばいい。そうしているうちに慣れるのだ。まず最初。初めてだからできなくて当たり前なのだ。かけていて当然。最初からパーフェクトに出来るのならば、お給料はもっと弾むのだ。とにかく、落ち着くこと。それが大切。気楽にやればいい。

病は気から

初めて1週間フルで働いて、やはり3社目と言うことで少しはだらんと過ごせた気がする。頑張りすぎても続かない。いきなりプロにはなれない。少しずつ、着実に。

 

とはいえ、やはり環境が変わると萎縮してしまう。昔よりはマシとはいえ、気が小さくなる。怖い。わかっているのにグルグル頭であーだこーだ。全部無駄なのにな。

受け身は最大の愚行である。全てが人任せで、自分勝手だからだ。余計なことは考えなくていい。ただそれがそうであるから、そうすればいいだけなのだ。相手の様子なんて窺わなくていい。瞬間的に動くことが必要なときもある。

 

どう見られるか気にするよりも、どう見られたいかで動く方がよっぽど良い。そうしてそれが自分になっていく。強い気持ちがそうさせていくのだ。アイドルでも、なんでも。だから理想を描くことは大事だ。どうありたいか。私はそれをきちんと考えなくてはいけないね。

信念が助けてくれる

初日が終わって、無事撃沈。もっとできると思っていた。正直焦る。緊張していたのもあるけど、やはり実力不足というか、圧倒的にこなしてきた仕事の少なさによる。不安もあるけど悔しいが大きいだけマシなのかもしれない。

スピードが遅いのは慣れの問題で、もちろんしばらくすれば早くはなると思うしそうも言われたし、周りは優しい人も多くて助かる。でもやっぱり、もう新卒なわけでなく、ある程度社会人を経験してきたわけだし、少し怖い。自信はあるけど微妙なところだ。まだ1日しか経ってないのにね。暑くなる頃にはなんとかなっているだろう。覚えることが多いということは、学ぶこともまた多い。知るということは、強くなれる。自分を守る武器を手に入れられるということである。

前だって最初は不安ばかり口にしていた気がする。そして恥じることばかりだった。気付いたら慣れていたし、舐めていた。そんなものだきっと。だけど、前もそうなのだったら、少し改善しなければならない。反面教師で学んだ。聞きたいことは聞くべきだし、言いたいことは言うべきだ。まずそうしていかないとちっとも変わらないのである。

前も書いたけど、足りないことをわからなければ治すこともできない。そうして成長していく。前の場所に居てもわからずそのままであったであろう。井の中の蛙だ。私は挑戦していて偉いのだ。やっていて偉い。もしもっと歳をとってから気付いていたら、それは本当に恐ろしいことだ。20代なんて、傷つきまくればいいのだ。もちろん、30代もきっと。そうして経験したことが自信と力になっていく。薄っぺらい毎日だけ繰り返していても、意味がないのだ。ないものはない。あったことだけが自分になっていく。想像だけに苦しめられるな。こっちが利用するのだ。契約なんだから、向こうにも義務がある。

幸いにも褒めてくれる人はいつも居た。私は幸せ者だ。信じればいい。いいことだけが現実だ。直接言われたこと、起こったことだけが現実であり、人生なんて短いのだし自分のものなのだから、真っ直ぐ生きればいい。ワガママな人間だけが勝利する。信念を貫けばいい。常にやりたい方向に歩く、それが人生であり、正解なのだ。迷うことなかれ。自分を助けられるのは自分しかいないのである。他人に任せた時点で、それは全て他人の人生なのである。

やっぱり運が良いわけで

1週間経っても連絡が来なくて流石に不安になったけど、やっぱり何とかなりそうで、心のモヤモヤが晴れてスッキリした。気が大きくなって物欲が解放されそうだけれど、給料は下がるので耐えたい。頑張れば試用期間は短くなるんだろうか。

 

合う人・合わない人はすぐわかる。改めてわかった。面接なんて、ほんの2,3分で決着がついていると思う。彼と初めて会った時にも思った。ある程度の直感は必要であるし、本能的によくわかっているはずだ。話しやすさが圧倒的に違う。嫌な空気がしない。自分らしさが存分に発揮できる。特に仕事なんて、合わない環境に行ってしまっては苦痛でしかない。入ってきてはすぐいなくなる人を見ていると、どこでも良いわけないと思う。淡々としていれば日々を過ごせる人なんて一部だ。人間、暇になると余計なことしか考えない。多少の忙しさは必要悪である。

 

一安心だけれど、油断は大敵な訳で。ちゃんとやっていけるんだろうか。正直多少ヒートアップして話したところがある。実力がどこまで通用するかわからない。否、多分そんなには通用しないだろうな。そうやって成長していくわけだし。仕方ない。足るを知らなければ始まらない、悔しいから頑張れる。伸びしろを見てくれているようだし、伸びればいい。最初の期待なんて、そこまでだろう。自由にやればいい。やりたいこと、こうしたらいいと思うことは積極的にやればいい。とにかく、きちんと見ていてくれているようだし、場所は用意されたんだから頭をフル回転させて頑張るしかない。

 

昔から余計なことばかり気づいて、無駄に察しすぎて、嫌だなあ、しんどいなあ、怖いなあなんて逃げていた。でも、強気で行けば、それはかなりの武器になるような気がしている。私が周りを見過ぎなのではなく、周りが見えなさ過ぎているのだ。危険を回避する能力は大事だ。気を利かせることで自分の評価が上がることだってあるはずだ。何より、自分がリーダーになれば、きっとプロジェクトを上手く成功させられるような気もする。ああすれば良いのに、こうすれば良いのになんて影で言うのはそろそろ辞めたい。そう思うならそうすればいい。思うのは簡単ではない。言うのは簡単。実行するのは最も難しい。面倒なことも先回りしよう。それが成功の近道だ。短所を長所に変えていきたい。

嵐の前の静けさ

250日ぶり。前回は夏の繁忙期で心身ともにやられ、その後は真夏の日差しが残る中検査のために行列に並んだり、リモート勤務になったりして、そのまま年末の忙しなさに巻き取られていた。しかもなんだかんだ生活が自立したりした。新たな日々が始まった。すっかり楽しくやらせてもらっているが。

 

冬は冬で単純作業が忙しく、売り上げが上がれば必然なのでありがたいのだが。いい暇つぶしにはなったな。別れがあって焦ったり。そうしてるうちに、やはり辞めたいという気持ちが抑えられなかった。前回はあまりに無謀だった為にしっかり次の道が決まってから辞める宣言をしたが、今回はなんとなくいける気がしていた。決まってすぐ辞めれないこともわかっていたし(結果的にすぐ辞めれるんかい、ということもあったが)、何かと前例もあったし、なんならゆっくりしてもいいのかなと思えたし、何よりきっとこの1年であらゆる面で成長できたことが大きい。少しは自立し、成長できたと思う。もっともっと、自分で歩くべき道を歩いていきたい。自信をつけるための経験をしていきたい。やはり、現状には限界がある。

 

なんとなく計画的に進め、2月はまた一心不乱に下準備をしていたわけで、本格的には3月から活動を始めた。もう安易なところには行かないという強い気持ち。相談できる人々。そして、自分にはやってきたことがあるという安心感。やりたいことへの情熱。良し悪しを見極める力。数年前とは大違いだ。自分が形成されるって、こんなに嬉しいのか。

 

思いもしなかった面接ができたり、嫌な面接を経験したりで、心情は色々と忙しかったが、それでも沈み切ることがなかったような気がする。今までもなんだかんだ上手くいくことが多かったので、自信こそあったが流石に無理かと思ったけど、またなんとかなりそうな気がする。いや、安心するのは早いけど。これで無理なら泣くなあ。辛い。やだな。ちょっと諦めかけてた中で、だから。ぬか喜びさせないでくれ。また、私は運がいいって言わせてくれ。

 

とはいえ、やっぱり技術不足も感じ、やりたいことへのブレも感じざるを得なかった。一つのことだけやる、なんてことは実際は無理で、歳を重ねると絶対に他の技術も向上していなければ、また窮地に立たされるだけなのだ。困るのは結局自分。無計画でも、流されていても、大丈夫なのかもしれないけど、私は嫌だな。まだ可能性はあると思う。やってみてから決めればいい。舞台は用意されるが、出るのは私だ。もっと、不安にならないように頑張るしかない。頑張らないで得られることは少ない。不安が最も嫌いなのだから、積極的に先回りして潰していくしかない。

 

ひとまずは結果待ちだ。お願いします神様。私の人生は、私が輝かせています。何もかも、今は持っているような気がしている。

被害者ぶってんじゃねーよ

忙殺される。休みが週1しかない月間になってから4週目に入っている。休みのありがたさを感じている。たかだか1日の差だと思う部分もあるけどやっぱり疲れが蓄積している気がする。仕事に集中力がない。メリハリがなくてしんどい。SNSをやっているから余計だ。あれはだめだ、境目がなくなる。言うなれば四六時中仕事しているのと同じだ。仕事人間になんてなりたくない。週4でそこそこの給料がもらえるところは何故ないのだろうか。

 

1年ぐらいでまた転職したいな、とぼんやり思うようになった。もともと長く働くつもりはなかったけど、もう1年経験したら十分だろうなと思う。仕事はゆったりしていて時間に追われることも少ないし、自分のペースでやれるし、それなりに学ぶこともあるけど、野外イベントやSNSの運用をやるために転職したのではない。休みが少ない。上層部に好感を持てない。長くいればいるほど多分、またしんどくなって空気にイライラしてくるに違いない。私はそういう人間だ。慣れるとダメだ。ずっと同じことしてるのが意外と向いてないのかもしれない。こんなに陰気なのに。2年ごとくらいで変化がないとダメなのかもしれない。来年もう一度7月を繰り返すことになると思うと憂鬱だ。忙しい夏が終わったらまた準備して、年明けぐらいになんとか転職できないだろうか。やりたいことはわからないけど。そして、採用されるかどうかもわからないけど、また逃げたくなってきたので逃げたい。人生なんてそれでいいような気がするんだけど違うんだろうか。きっと私はめちゃくちゃ短気なんだろうな。もっとコミュ力と行動力があれば大物になってるような気さえするが、残念ながら引くほどめんどくさがりなので、そういうことにはならない。多分、「面倒くさがり」が私の諸悪の根源無ような気がする。

 

母親がうざい。毒だ。キチガイだ。更年期だ。よく考えれば、ギリギリ普通に生きていける軽い程度のADHDなんじゃないかと思うところがある。最近、自分が大人になればなるほどに思う。ちょっとおかしい気がする。おかしくさせてるのは、そもそものこの「家」の空気のせいなのかもしれないが。そうだろうけど。そうだとすると、結局は父親のせいであり、夫婦間の問題であり、子供である私に何をどうすればいいんだというのだ。知らない。あなたたちがコミュニケーションを取らないからだろう。それを全て子供に押し付けないで欲しい。私に一体どうしろというのだ。離婚しないのが子供のためなのだろうか?口だけで子の幸せを願うなんて簡単だ。もう、どうしようもないから全てを諦めて欲しいのだ。諦めたら楽になる。幸せな家族像を、すっかり諦めて欲しい。そして違うことに喜びや楽しみを見出してほしい。家族以外で楽しんでほしい。自立してほしい。自力でなんとかして欲しい。私はあなたが幸せになるための道具ではない。犠牲になんてなりたくない。放っておいてほしい。私はもうどうしようもないってわかってるから、無駄な努力はしたくないし、疲れるし、逃げる。解決しないから、本人の問題だから、穏便に逃げる方法を考えてここまでやってきたのだ。私は私の道を生きるし、幸せを求めて、考えて、どうすればいいか、これはきちんと正しいのか?間違ってないか?一生懸命探している。邪魔しないで欲しい。血のつながりがあれど、産んで貰った親であろうと、私と他人である。他人のことまで気を遣ってられない。ましてや、それが私を苦しめる人間ならば殊更である。私は好きなように楽に生きたいし、私を楽しくしてくれる人にはきちんと尽くす。人生短いし体は一つしかないし、脳みそのキャパは少ない。仕事も忙しいし自由な時間は少ししかないのに、どうして面倒ごとを引き受けなくてはいけないのだろうか。勝手にしてくれ。何でもかんでも人に頼ればいいというわけではない。自分で考えて、どうしたら現状から抜け出せるか、何を諦めなければいけないか、わかってくれ。頼むから。人間完璧になんて生きれない。馬鹿で愚かだなあと思う。早く逃げたい。勝手にして欲しい。巻き込まないで欲しい。どんどん嫌われていく一方なのがわからないのだろうか。変えられるのは自分自身だけ。自分が変わらない限り周りも変わらないのだ。

 

 

狂ったように頭に血が昇ってしまう。衝動を抑えられなくて怖い。壊れそうだけど壊れない。でも、理性を失うってこういうことかって変に冷静なこともある。相変わらずうまく話せない。とにかく早く週末にログインしたい。