嵐の前の静けさ

250日ぶり。前回は夏の繁忙期で心身ともにやられ、その後は真夏の日差しが残る中検査のために行列に並んだり、リモート勤務になったりして、そのまま年末の忙しなさに巻き取られていた。しかもなんだかんだ生活が自立したりした。新たな日々が始まった。すっかり楽しくやらせてもらっているが。

 

冬は冬で単純作業が忙しく、売り上げが上がれば必然なのでありがたいのだが。いい暇つぶしにはなったな。別れがあって焦ったり。そうしてるうちに、やはり辞めたいという気持ちが抑えられなかった。前回はあまりに無謀だった為にしっかり次の道が決まってから辞める宣言をしたが、今回はなんとなくいける気がしていた。決まってすぐ辞めれないこともわかっていたし(結果的にすぐ辞めれるんかい、ということもあったが)、何かと前例もあったし、なんならゆっくりしてもいいのかなと思えたし、何よりきっとこの1年であらゆる面で成長できたことが大きい。少しは自立し、成長できたと思う。もっともっと、自分で歩くべき道を歩いていきたい。自信をつけるための経験をしていきたい。やはり、現状には限界がある。

 

なんとなく計画的に進め、2月はまた一心不乱に下準備をしていたわけで、本格的には3月から活動を始めた。もう安易なところには行かないという強い気持ち。相談できる人々。そして、自分にはやってきたことがあるという安心感。やりたいことへの情熱。良し悪しを見極める力。数年前とは大違いだ。自分が形成されるって、こんなに嬉しいのか。

 

思いもしなかった面接ができたり、嫌な面接を経験したりで、心情は色々と忙しかったが、それでも沈み切ることがなかったような気がする。今までもなんだかんだ上手くいくことが多かったので、自信こそあったが流石に無理かと思ったけど、またなんとかなりそうな気がする。いや、安心するのは早いけど。これで無理なら泣くなあ。辛い。やだな。ちょっと諦めかけてた中で、だから。ぬか喜びさせないでくれ。また、私は運がいいって言わせてくれ。

 

とはいえ、やっぱり技術不足も感じ、やりたいことへのブレも感じざるを得なかった。一つのことだけやる、なんてことは実際は無理で、歳を重ねると絶対に他の技術も向上していなければ、また窮地に立たされるだけなのだ。困るのは結局自分。無計画でも、流されていても、大丈夫なのかもしれないけど、私は嫌だな。まだ可能性はあると思う。やってみてから決めればいい。舞台は用意されるが、出るのは私だ。もっと、不安にならないように頑張るしかない。頑張らないで得られることは少ない。不安が最も嫌いなのだから、積極的に先回りして潰していくしかない。

 

ひとまずは結果待ちだ。お願いします神様。私の人生は、私が輝かせています。何もかも、今は持っているような気がしている。