納得することが大切

昨日一日、有休だったのでのんびり過ごした。掃除をして、洗濯を回して、必要最低限の「やりました」感を出せたので、満足して外には一歩も出なかった。テキサスバーガーが美味しかった。

 

本当は住民税を払ったり、猫ちゃまを爪切りに連れて行きたかったけど、そういう元気さはなかった。一日中本を読んでいた。國分功一郎の「はじめてのスピノザ」。本当は「暇と退屈の倫理学」とか「中動態の世界」とかが読みたかったんだけど、電子書籍になってなくて、すぐ何かを読みたかったからはじめてのスピノザにした。後から気づいたけどこれが結構最近の本だった。

哲学って本当に面白いな。あとがきに哲学は生きるために学ぶべき的なことが書いてあったような気がするけど、本当にそう。知識、というか考え方について、学校では基本的に教えてくれない。マジョリティーが正義というノリとか空気に馴染むことが自分の身を守る術だとなんとなく皆「ノリ」でやっている。大学になってようやく、しかしそれもまた薄くだけど、急に自我を持つことを強いられる。そして社会に放り出される前に突然個性を求められる。それもきちんと会社という型にハマることができる範囲内での個性を求められているに過ぎないけど。今ならそんな会社なんぞ行くかと啖呵を切れるけど、昔はもともとなかったライフポイントが余計にすり減って地獄だった。今読みんでやっぱりそうだよね〜って思えるからすごいけど、早く当時の自分に読ませてあげたい。狭い世界でしか物事を見れなくて、他人が正しいと思い込み過ぎて自分の人生がわからなくなっている自分。それもまた自分なんだけれど。

 

スピノザの考え方って面白い。本の最後の方のデカルトに絡んだ神の話は難しくてあまりわからなかったけど、途中までの自由についての話は良かった。制約がある中でしか人は自由になれないとか、知らないと自由になれないとか、能動が自由だとか。ここ最近の自分に当てはまっていて、自分が自由に向かって生きれているんだなって実感できた。今まで他者についていくばかりで、自分を出すと間違えると思っていた。絶対的な正しさを求めていた。これは勉強の哲学で否定されたので、気が楽になった。ここ2,3年は自分を強く意識できるようになってきた。恋愛を知らずに生きてきたけど、知って、素晴らしいなと思ったし、自分のやりたいことを求めて転職した。能動的なんじゃないかな。

 

とりあえず國分先生の本を沢山読んでみようと思う。でも一旦別の本をメルカリで買ったので、そっちを読む。金欠なので7月になってから買おう。本がそれなりの値段なのも納得だ。知恵の塊だから。読めば読むほど、確固たる気持ちを手に入れられる気がする。結局自分を楽にできるのは、自分で納得して決断すること。他者からの言葉だけでは足りないのだ。どこまで行っても自分。他者からは影響を受けざるを得ないし、決断にも関わってくるけど、それを踏まえた上でも自分なのだ。でも、責任はどこにもないような気がする。間違えたらそれでそれなのだ。そういう事実でしかない。

脳に落ち着き

前回から約130日ほど経ったらしい。当時は転職したてで毎日ドキドキしていただろう。でももう思い出せない。すごい。いつだって最初のことなんてすぐに忘れてしまうのだ。気付いたら慣れて馴染んでいる。当たり前は日々の繰り返しから勝手に構築されて、飲み込まれて、また破り捨てたくなるものだ。

転職して4ヶ月ほど経った。あっという間すぎないか時の流れ。一日が一瞬で終わっていく。週の初めはもちろん長く感じるが、一週間もそれなりに一瞬だ。何より前の仕事の時の、きちんと一日働いたはずなのに謎の嫌悪感と虚無感がなくなったと思う。ざらざらした気持ちで会社を去る、帰り道を歩く、そんなことはなくなった。ただただ平坦。良いことだと思う。

きちんと頭で考えてやる仕事はやっぱり良いものだ。前は腐っていた。滞っていた。脳みそは使わないと死ぬ。人間は話さないとどんどん沈む。軽いノリに囲まれていれば、少しは適応していく。きちんと考えて自分の意見を発言しなくてはいけない環境にいる。それはものすごく大事なことだ。諦めと虚無感、どうでも良い感じに塗れては自分を見失う。個であることを、きちんと意識する。みんな違う。絶対なんてない。全員が同じ方向を見ている方が気持ちが悪い。それぞれ意思がありこだわりがあり、譲れないことがあり、こっちが良くてこれは良くないそれがある。そういうことがしんどい時もあるけど、実感すれば自分も別に違って良いのか、ときちんと思える。自分が出来ていく感覚。皆欠損がある。でも、お互い様なのだ。多少変でも、その「変」が当たり前として周りから受け入れられる。絶対的にいい人なんていないし、どこかいしら嫌な部分があり、それもどこかしらで誰かに指摘されている。他人をどうこうしようなんて考えがだめ。変われるのは未来の自分でしかない。

 

仕事は楽しい。自分の自由にやれる、思いが反映されると気持ちがいい。褒められると嬉しい。出来ないことが悔しい。お金が欲しいし休みも欲しい。上層部の考えは気持ち悪い。

 

もうすぐ誕生日。勉強は本当に去年の緊急事態宣言終わりから始めたので、ちょうど一年前だ。転職したくてたまらなかった。一年後の今、転職して4ヶ月経ってそれなりに過ごしているなんて思っても見なかっただろう。すごいな。一昨年も、一年後恋人と誕生日を過ごしているなんて思っても見なかった。ここ3年、とても頑張っている。すごいな、人生何が起こるかわからない。社会人も捨てたものじゃない。私は社会・会社に出たから成長したのだと思う。良くも悪くもあると思うけど、そういう意味ではちょっとは大人になっているのかもしれない。まだまだ赤ちゃんのように駄々をこねるし、働きたくないし、お金の使い方も雑だが。

来年もまた頑張った一年だったなと思い返したいな。また転職してるかな。もしかして結婚してるかな、別れているかな。そうやって次の年に期待するのも、本当に珍しいというか、すごい心境の変化だなと思う。

 

これからどうなっていくんだろう。仕事はもっとキャリアアップしたいような、今がちょうどいいような。でも自分の性格からしてまた次に行くのではないかなと思う。飽き性。集中力もないしめんどくさがりだしかなりズボラ。お金が好き。ファッションが好き。かっこよくなりたい。休みが欲しい。楽しく生きていたい。友達は少なくていい。

 

本を沢山読みたい。勉強と哲学という本を読んだけど、めちゃくちゃ面白くて、ここ数年自分がようやく気付いてきた人生観というか、生きる為の日常の見方の本のような気もした。あ〜!ほんまそれ!と思う部分もあれば、新しい発見もあった。多少きもち悪くていい。それなりに生きていく。知識は私を苦しみから助けてくれる。誰かいい本があったら教えて欲しい。色々読みたいけど、本が部屋に増えるのはちょっと嫌だ。困ったものだ。

アドレナリンが出て

あっという間に新しい日々が始まった。ずっと緊張していたが、ある程度は解放されてきた。上手くやっていけそうな気もする。どうせ愚痴は後からいくらでも出る。それはどこに行っても大体同じだ。厄介なことは少なからずどこにでもある。上手く折り合いをつけてやっていかなければならない。でも割合は選べると思う。自分にとって何がベストなのか。全体を見て慎重に判断することが大切だ。我慢しすぎるのもよくないし、我儘ばかりも言ってられないしみていられない。上手に生きることが大切だ。それができなければ、自分の首が締まるだけだ。ちょうどいい塩梅で生きていこう。

 

いつだって迷う。最初は旨い話しかしないに決まっている。後から不安になった。それは条件もそうだし、空気も実際に触れて見ないとわからない不安だ。能力だって追いついてくるかわからない。果たしてここは私にとって生きていける環境なのか?

でも何回考えても、戻りたいとは思わない。もう既に、夢の彼方に消えていった過去だ。人間関係はよかった。思い返しても、不思議な空気だったと思う。どことなく重く、薄暗い。結局滞留している空気には滞留しているヒトしか集まらないのか、否、そういう空気に絡め取られていくのかも知れない。難しい。都かも知れないが、閉塞的である。目的もなく、ただ、ふらふらと生きる。いい意味でも、悪い意味でも。

 

 

忘れることもあるだろう。その時自分がどう思って、判断して、行動したかなんて、逐一完璧に覚えているわけもない。だから記録することは大事なのだ。昨日の私は、必死に生きている。

 

 

どこまで頑張れるのか。成長なんてできるのか。でも、今までだって少しずつ成長している。失敗したって、自分としてはアップグレードされているから大丈夫だ。それでいい。

どうなるかはわからないけどね

自分は人間関係ガチャに、ほどほどに恵まれていると思う。学校・部活・バイト。どれをとっても、後から思えば嫌な人、ちょっとどうかと思う人はいるけど、ほんの1部だし、他の人は大概いい人だ。そして広く関係を構築することはできないけど、その中でも、深い関係になれる人と出会えている。尊敬できる人。私を気に入ってくれる人。そして、私も好きな人。

生きていればそれなりに価値観や考え方、好み、生き方も変わってくる。それは私だけじゃない。だから、時期がくると疎遠になる人もいる。もういいかな、と思う。仕方ない。変わっていくのは自分だけでなく、相手もだし、世界も、環境も変わってくる。そういう時は思い出が綺麗なまま、そっと置いておくのが正しい。じゃないと嫌悪に変わっていくだけだから。私は私だし、貴方は貴方だし、好きにしてればお互いハッピーなんだよ。またきっと、いつか交わる時もくるかも知れない。それまではまた、今度なのだ。

 

私はもう少し、自分に自信を持てるようにならないといけない。もちろん、傲慢になりたいわけではない。驕り高ぶっている人は自分が見えていない。周りと環境を非難するばかりで、滑稽で、側から見ると最も愚かで醜い。言葉遣いや文章、態度、全てから滲み出る。そういうことではないし、そういう人には絶対なりたくない、日々反面教師で生きなくてはならない。

そういうことではない。自分を下にしすぎて、大したことない人にも、負けてしまうのはいけないことだ。少しでもいい、対等に戦えるようにならなくてはいけない。出ないと、また道を踏み外してしまう。ハッピーには生きれないと思う。客観的に見る力は一応あるはずなのだから、変な思い込みがあるところをしっかり自覚して、きちんと、冷静に自分、自分と周りを見れるようにならなければならない。自分をもて。意志をもて。なさすぎる人間もまた、愚かなのだ。

 

やりたいことがある。今のままでも、それなりに生きていけるのに?

いや、そんなことない。ずっと同じところに滞留するのは、本当によくないのかも知れない。知らず知らずのうちに、腐っていく。それが当たり前だと思う。何かを知るためには、結局自分の足で知ろうとしなければいけない。そうしてゴロゴロ転がって、思考は形成されるのだ。間違ってたとしても、もう戻りたいとは思わないだろう。

環境のせいだ

1日中勉強していた。楽しい。めちゃくちゃ集中してできた。最近あまり昼寝もしない。影響を受けている。欲にキリがないことをわかり始めたからだろうか。どうせ人間は夜眠るのだ。夜、7時間程度寝れば十分なはずなのだ。そう思うことが大切なのかも知れない。脳みそにわからせる。そうすると自然とそれを受け入れる。食欲と同じだ。なくても大丈夫なのだと気づく。とはいえ、たまには眠りたい。それが気持ちいいから。

 

最近寝つきが悪い。あからさまだ。環境の変化にすぐ気持ちが動揺し始める。不安なことが多い。脳にこびりつく。嫌だな。でも、前のように夜泣きしなくなった。多少なりとも自己肯定感が上がっているのか。世の中を受け入れ始めたのか、自分を受け入れ始めたのか。ないものばかりに囚われてはいけない。どうせ全て持っている人なんていないのだから。私だって他の人だって、できること・できないことがある。長所と短所がある。完璧には生きれないし、誰からも好かれる人なんて滅多にいない。無理だ。みんな折り合いをつけて生きている。他人を気にしていない。だから振り回されるだけ無駄な人生だ。こっちから滅茶苦茶にしてやればいい。それで楽しく生きれる。受け入れられなければそれまでなのだ。そんな奴人生にいらない。疲れるだけだ。お互いに。

 

やりたいことが多すぎる。脳がいっぱいで受け入れられない。あれだけ好きだったキラキラドラッグも、今はちょっとでいい。全部が全部、知れる訳ないのだ。本気だったあの頃とは勝手が違う。少しでいい。少し楽しさをくれればいい。自分のペースで応援して、好きでいればいい。誰も何も言っていないんだから。

どうぞお掛けになって下さい

転職が決まった。まさかの急展開すぎる。1ヶ月前、記事を書いている時には想像もしなかっただろう。年が明けてから猛スピードだ。期待しないようにしていたが、どこかうまくいくような気もしていた。私はいつも正攻法ではない。ちょっとした運だ。少しの努力と、直感だ。交友関係は狭い癖に、意外とそういう関係で物事が決まったりする。まだこれが最適解かどうかはやってみないとわからない。また1ヶ月後には違う未来が待っているかもしれない。怖い。でも人生案外何とかなっている気がする。自分で進む。それが大事。誰も助けてはくれないし、助けられるのは自分だけだ。

 

日に日にフラストレーションが溜まる。やりたいことがあるのはもちろんだ。業務内容が退屈になっている。興味がない。しょーもない。そういうことがしたかったはずなのに、不思議なものだな。何が私を変えたんだろう。年齢や社会か、人間関係か。

居心地がよかったはずの場所が、気持ち悪くなる。優しいと思っていたはずなのに、訳がわからなくなる。自分を大切に生きていなければ気づかない。知らない間に搾取されているのだ。こっちがなぜ謙る必要があるのか。勝手をしているのは相手なのに、こちらが申し訳なくならなければいけないのか。対人は恐怖だ。相手の感情や意志をぶつけられるのはしんどい。感受性やお察し力が強すぎるのも考えものだ。思い込みも激しい。結局自分を苦しめているのは自分なのだ。

 

残りの出勤が苦痛である。やめると決めてからさらに、どうしようもない人間の空気が無理だ。それがどこにでもある普遍的なものなのか、特異なものなのか、やはり別の場所に行かなくてはわからないのである。1つしか知らないのに、それが当たり前だと思うのはおかしな話である。10知れば、他の9が当たり前なのかも知れない。別が間違いであるとしても、それが間違いであると気付けることが正解なのかも知れない。知らないのは怖い。一生そのままだ。ある日突然気付いてしまって、過ぎた時間の重みに潰れたくは無い。もしそこで間違えたのなら、また別の道を歩めばいい。いつかいつかなどど二の足を踏んでいる場合ではない。人生は短い。人の価値観は変わる。その場その場の自分で生きていくのである。

 

私じゃない誰かがやる事になるなら、私がやろう。私じゃ無い誰かがやったとしても、私は構わない。天秤にかけた時、やはりそう思った。

正解はいつでも自分でしかないので、それを忘れずにいたい。

最低な嘘

本当にゴミクズである。周りに心配をかけておきながら、嘘をついてしまった。甘え。めちゃくちゃ弱い人間だ。すみません。でも、もう仕方ない。どうしようもない。苦しい。生きるのが苦しいのである。でも、おかげで少しリフレッシュできた。無駄な1日じゃなかった。意味のある、惰性。逃げ。だから許してほしい。誰にも言わないけど。嘘は墓場まで持っていかなければ誰かを傷つけるだけだ。最低じゃないと思いたいけど、多分誰に言っても最低だと思われる。だから言わない。言ったら楽になるかもなんて幻想は捨てろ。他人は自分を理解してはくれない。自分は自分でしかない。

 

変なところで頭が固い。固定観念にとらわれる。思い込みが激しいのだ。バレているし。でも気が小さい割に変にどーんとぶっとんだことを言ったりやったりしてしまうこともある。本来の自分はそうなのかな。調子に乗るとそうなる。常にそうだといいのに。ずっと調子に乗っていたい。でも無理、急にしんどくなる。自分を見失う。正解がほしい。合ってるよ、大丈夫だよ、君は悪くないよって言ってほしい。言われたところで「そんなわけないじゃん」って思うのにね。誰かに救ってほしいのに、結局自分で自分を許せないから意味ない。周りの優しい人たちに大人しく救われてくれよ。善意を蔑ろにするな。そんな自分も更に嫌になるのだ。嫌だ。あーーー。

人間関係も、仕事も、結構恵まれている方だと思う。こんな突飛な正確をしているのに仲のいい友達もいるし、優しいパートナーもいる。仕事も、激務でもないし、直接嫌なことを言ってくる人もいない。不可はない。上司も優しいし、先輩方もいい人たちばかりだ。何が不満なんだろう。多分自分が不満なんだろうな。環境はどうしようもないけど、どうしようもないからこそそこに居るかどうかは自分次第だからだ。自分。常に自分に対して自信がない。なんでだ。最近わかったことがある。言いたいことを言わないからだ。やりたいこと、好きなことから逃げているから。何事も自分が逃げた結果だからだ。当たり前だ。自信を持って選択してないから。いつでも逃げている。逃げては後悔をしている。どっちにしろ不安で、怖いのに。逃げたって正解ではないのに。

 

頭ではわかっていても難しい。挨拶だってしたほうが良いし、愛想を振りまいたほうが自分の為になるし、賢い。わかっているけど全然だめ。言うこと聞いてくれない。体は動かない、悲しいくらいに。だからバカなんだよなあ。賢い子にはなれない。それが足りないところ。強かで賢く生きていたいのに。他人に影響を受けたくない。いちいち相手の機嫌にビクビクしたくない。無駄に感じ取ってしまいすぎる。HPSだろ。治療があればいいのに。察するくせに気が利かないのが私の悪いところだ。

 

「なりたい自分」になろうとするのって無駄なのだろうか。思い上がりなのだろうか。他人に夢を見すぎているのだろうか。隣の芝生は青い。もっとキラキラしたい。なんてアホっぽくもあり、でも、毎日がつまらないので仕方ない。平穏を求めていたはずなのに、あまりにもつまらなくなっている、あるものに気付いてない、愚か者なのだろうか。あー。でも、この感じには覚えがある。2019年。春になる前ぐらいから、今と似たような退屈な気分に襲われた。社会人も1年を過ぎて落ち着いてきたからだと思う。毎日淡々と過ぎていく日々に飽きて、プライベートを充実させようと思ったのだ。結果、失敗もあったけど成功したと思う。頑張った。だから、また頑張り時なのではないか。その時も「なんか違うな」と思ったらすっぱり辞めていたし、その、ズバッと直感で進むのが意外と私には合っているのではないだろうか。仕事も会社と合うかどうかだもの。とはいえ生活に大きく関わってくるし、こんなご時世だ。煮え切らない。どうしたらいいのだろうか。意気地なしなのか、冷静になったほうがいいのか。どうしようもないな、本当に。

 

とりあえず勢いが大事なこともある。嫌なこと面倒なことは早めに終わらせれば良いのだ。他人は思っているほど自分のことなど気にしていない。気にしているのは暇な奴だけだ。他人を妬む暇なんてない。愚かだ。せめて好きなことで忙しくしていたい。頭をいっぱい好きで埋め尽くす人生でいたい。マイナスなことなんて、私の人生にはいらないのにな。